【笑っていた父親】
「おじいちゃんなんか笑ってるね」
仏前の父の写真を見ながら
家内もつられたように笑っていた
思い起こせば45年くらいになるか
私が学生時代といっても
高校2年になったばかりの頃
父親が私のアルバイト先の喫茶店にやって来て
その走り回る姿を見て
「ひょっとしてこれは儲かるかも?」
などと考えたに違いない
急に
「レストランやる!」
とか言い出したら止まらない
何らためらうことなく
当時約1億円くらいかけて
銀行もよく貸したと思うのですが
自宅兼店舗を建てることになったのです
「お前、働いて返せ」
わずか17歳の子供に
銀行の返済の明細表を出し
ニコニコと指差し
笑いながら言った日を覚えている
まさか?
と思われる方ばかりだと思いますが
私の父親を知っている方なら
みなさん声を揃えて
「あり得る!」
と言っていただけると思うのです
飲食の経験も知識もない父親が
「儲かるに違いない」
と思い込みだけで
そのわずか一年も経たないうちに
レストランをオープンしていたのであります
ホールは私と母親が中心で
キッチンはひとつ違いの
受験を辞めさせられた兄が
ヘルプでやることになり
基本的な味は
当時、神戸で爆発的に腕の良いシェフを
いつの間にかスカウトし
オープンの日には
スタッフ総勢15人くらいいたのです
ところがオープンしたと同時に
連日長蛇の列をなし
瞬く間に3年くらいで3件のレストランを
経営することになるのです
あまりの忙しさに
学校も満足に行けなくなったものの
なんとか高校だけは出ましたが
自分で言うのもなんですが
とにかく働いて働きまくったのです
その後、阪神淡路大震災があり
人生は大きく大きく変わり
今、仲人をさせていただいている
亡くなった父親が
私が結婚相談所を始めた時
オープンした事務所にやってきて
大きな声で何故か笑いながら
「お前はオモロいことやるわ!(笑)
大丈夫や。うまくいくわ」
と、言われ来年には仲人歴10年になる
あの日の父親の笑い声を
何故かよく思い出すことがある
何があっても私に
「お前は大丈夫や!」
と笑っていた
振り回された時間すら
懐かしく感じることもある
そう言えば悩んだ顔を見たことがないですが
悩んだ「フリ」をするのは抜群にうまかった
しかし今では生き方全てが
ギャグのようにも思える
「おじいちゃんそっくりやで。お父さん」
だと最近よく言われる
これは間違いなく褒め言葉でないのを
私は知っている
最後までご愛読ありがとうございます
「顔まで似てきた」 らしいです
Posted at 09:39